草菴(草庵)スタッフ池田の、国宝・松江城を語る~その4

こんにちは!草菴(草庵)スタッフ「池田康弘」です!

出雲神話の語り部ばーずこと、出雲神話検定上級保持者である草菴(草庵)スタッフ池田康弘が、おおくりする、

「松江城を語る」

おかげさまで大変ご好評頂いております!

第3回はご覧いただけましたでしょうか?本日は、第4回目です!

松江城のある、「松江城山公園」は、桜の名所です。
現在、島根県東部の桜は、まだ蕾の状態です。開花するのは4月に入ってからではないかと思われますので、まだこれからのご予約でも合いますよ!

是非、【春の行楽に ! 】 松江城天守登閣チケット付プランでご予約いただき、松江城へお出掛けください!

松江城へ行く前に、このブログを読んでいただくと、さらに楽しい旅行になりますよ!

さて、今回は、「松江城の築城」について語りたいと思います。

出雲国の中心「月山富田城」

松江城は、江戸時代からあった城ではありません。
それまで、出雲国の中心地は現在の安来市広瀬町にあった「月山富田城」でした。
現在は、城跡を残すのみですが、日本100名城の一つです。

1600年11月 関ヶ原合戦後、徳川家康に戦功を認められ、堀尾忠氏は、隠居していた父・吉晴とともに出雲・隠岐24万石の大守に任じられ、遠江(静岡県)浜松から広瀬の富田城に入りました。

なぜ松江に城が移されたのか?

土地が狭く、水運の便が悪い、軍事的に不利、といった理由から、1603年、幕府から城地移転の許可を得て、松江を城地に定めました。

吉晴・忠氏親子は、乃木村元山(現在の松江市上乃木床几(しょうぎ)山)に登り、床几に腰掛けて、候補地を選びました。

父・吉晴は荒隈(あらわい)山(現在の松江市堂形町付近)、息子・忠氏は亀田山(現在の松江城)をそれぞれ主張し、真っ向から対立し、しばらく結論が出ませんでしたが、最終的には息子・忠氏が主張した亀田山案に決まりました。

しかし、翌1604年に、息子・忠氏が28歳の若さで急死します。
その子・忠春は、まだ6歳で会ったことから、隠居の吉晴が松江城築城という大仕事にのぞむことになりました。

忠氏の急死、吉晴の藩主就任の上洛などがあって、松江城築城に着手したのは1607年でした。

それでは、今回はここまで。またの更新をお楽しみに!


草菴(草庵)では、春のご滞在企画として、松江城天守登閣チケット付きプランをご用意しています。


ぜひともこの機会に、ご利用ください!

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